婚約指輪をオーダーする際に役立つダイヤモンドの重要な5つの歴史

婚約指輪をオーダーする際に役立つダイヤモンドの重要な5つの歴史

 

  婚約指輪の購入を考え始めた男性にとって、ダイ
 ヤモンドの価格や品質について、スマートホンで
 の検索は不可欠です。
 
 
 ただどうしてダイヤモンドはこんなに値段が高い
 のか、小さな石に何十万円も出すほどの希少価値
 が本当にあるのか、当然そう思いますよね。
 
 
 ここでは、ダイヤモンドの取引の歴史を少しだけ
 知ってもらうことで、高い金額を出して婚約指輪
 を贈るモチベーションにしていただければと考え
 ました。
 
 
 
 ダイヤモンドの取引は紀元前4世紀からすで
 まっており、インドとアントワープを中心に発展
 していきます。
 
 
 

 

 1.ダイヤモンドの取引はインドから始まる

ダイヤモンドの取引はインドから始まる

 

 

 19世紀以前のインドでは、ダイヤモンドは豊富に
 採掘されていました。
 
 当時は、現在の様に地中に穴を掘って採掘する方
 法ではなく、河の中や河岸に流れ着いた原石を、
 人の手によって採取されていました。
 
 
    ダイヤモンドが世界で一番最初に発見されたの
 は、古代のインドです。
 
 
 この頃の人々は、ダイヤモンドの重さを計るた
 め、独自の単位を使用していました。
 
 
 また、当時インドでも裕福な層の人々にとって、
 ダイヤモンドは大変価値のあるものでした。
 
 古代の時代には、現代の様に大金を預かってくれ
 る銀行のようなものはありませんでした。
 
 彼等は、多額の現金を一粒のダイヤモンドに交換
 するようになりました。
 
 そうする事により、財産の保管や移動が軽く済む
 ようになり、盗難などのリスクも避ける事ができ
 るからです。
 
 ダイヤモンドが投資対象としてすでに、古代の時
 代から取引されていたのです。
 
 
 
 
 

 2.世界のダイヤモンドセンター • アントワープ

世界のダイヤモンドセンター • アントワープ

 
 
    16世紀初頭にインドに最初のヨーロッパ人が
 着するまで、ヨーロッパと東アジアの間の貿易は
 栄えていました。
 
    その要所がイタリアのヴェネツィアであり、次第
 にヴェネツィアは、ダイヤモンド貿易を独占する
 ようになっていきます。
 
 
ヴェネツィアは、ダイヤモンド貿易を独占するようになっていきました
 
 
 
 その頃、ヴェネツィアからベルギーのブルージュ
 へダイヤモンドの多くが運ばれていき、ブルージ
 ュは次第にダイヤモンドの研磨加工の要所として
 発展していきます。
 
 
ブルージュはダイヤモンドのカッティングの要所として発展していきました
 
 
 
 そのブルージュは、14世紀の終わりまでベネ
 アと結ばれた、ダイヤモンドの商業都市として、
 確固たる地位を築きました。
 
 その後50年をかけて徐々に衰退し始め、代わりに
 アントワープが、ダイヤモンドの取引場所として
 台頭してきました。
 
 
 ブルージュが担っていた多くの経済活動に加て、
 ダイヤモンドの取引は次第にアントワープにシフ
 トし、アントワープは16世紀に入ってさらに繁栄
 して行きます。
 
 
 この時までに、アントワープはすでにダイヤモン
 ド加工技術の開発において、世界的に重要な役割
 を果たしていました。
 
 たとえば、フランス国王のフランソワ1世は、パ
 リのダイヤモンド職人ではなく、代わりにアント
 ワープの職人に注文したことで有名でした。
 
 
 当時アントワープは、ヨーロッパの商業の中心地
 で、世界の貿易全体の約40%がその港を通過して
 いました。
  
 またダイヤモンドに対するアントワープの名声も
    17世紀には不動のものになっていました。
 
 
 
 
 

 3.アムステルダムのダイヤモンド時代

アムステルダムのダイヤモンド時代

 17世紀の終わりになると、アントワープに変わ
 り、オランダのアムステルダムが貿易の主要都市
 として台頭してきました。
 
 
 当時、宗教的および市民的自由を提供する特権都
 市であったアムステルダムは、18世紀までに、ダ
 ダイヤモンドの貿易においてほぼ独占するように
 なりました。
 
    それ以来、品質の良いダイヤモンド原石はアムス
 テルダムが保有し、アントワープには品質の劣る
 ダイヤモンドしか来ない状態になっていました。
 
 
 ただ、アントワープの職人たちは、この困難な状
 況において生き残りをかけて、小さくて平凡な原
 石も、細かく加工して宝石に変える技術を磨いて
 いきました。
 
 
 
 

 4.南アフリカで新しいダイヤモンド鉱山が発見

 
 
 1866年、南アフリカで最初のダイヤモンドが発
 見されました。
 
    数年後には世界最大のダイヤモンド鉱床であるキ
 ンバリー鉱床が発見され、キンバリーダイヤモン
 ドの時代へとつながっていきます。
 
 
 その後、更に南アフリカでは大規模な探査が行わ
 れて、次々に新しいダイヤモンド鉱床が発見され
 、ヨーロッパへの大量供給をもたらすダイヤモン
 ドの新時代を迎えるのです。
 
    
 
    南アフリカでのダイヤモンドの発見後、大量の原
 石がヨーロッパへ流入したことによって、世界有
 数のダイヤモンドセンターとしてのアントワープ
 の地位は復活して行くことてなります。
 
 
 
 1930年代に入り、世界的な不況がダイヤモンド
 貿易に大きな打撃を与え、ダイヤモンドの加工工
 場が数週間完全に閉鎖されることもありました。
 
 
    状況は、第二次世界大戦が勃発するまで続き、戦
 時中は、アントワープから多くのユダヤ人ビジネ
 スマンがナチスドイツの取り締まりかられ、
 国、ポルトガル、イギリスで、ダイヤモンド貿易
 を続けました。
 
 
 
 そして戦後になって、ダイヤモンドの世界的供給
 会社、デビアスが行なった大々的なダイヤのキャ
 ンペーン広告によって、それまでヨーロッパの一
 部の貴族階級でのみの慣習だった、ダイヤモン
 の婚約指輪が世界的な慣習になっていったので
 す。
 
 
 それは、戦後の復興から高度成長期に入っていた
 日本にも一大センセーションを巻き起こす事とな
 り、
 
    『  ダイヤモンドは永遠の輝き  』
    『  婚約指輪は給料の三か月分  』
 
 このフレーズと共に大量のダイヤモンドが入って
 来ました。
 
 その後1990年代には、日本は世界一のダイヤモ
 ンドの輸入国となっていったのです。
 
 
 
 
 
 
 いかがでしたでしょうか。
 
 
 有史依頼、人間にとって最高の宝石でありつづけ
 ているダイヤモンドの輝きを、改めて婚約指輪と
 して、大切な方に贈る事を考えてみてはいかがで
 しょうか。